近親者の訃報があり、週末に葬儀に参列してきました。
ここ数年、近しい人の悲しい知らせが多くなってきています。
そのせいか、
自分の人生、また、死に様について考えることがあります。
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過日、あるセミナーに参加したのですが、その中でこんな話がありました。
「あなたが死ぬとき、あなたの人生の評価は何が示してくれますか?」
それを聞いて、僕はある人の言葉を直ぐさま思い起こしました。
「いいか、人の評価は、その人の周りの人がしてくれる評価だよ」
これを言ってくれたのは、高校生の頃から面倒を見てくれてた自転車屋の店長です。
僕が30才を過ぎてから世界旅行に旅発つ時に、店長から放たれた言葉です。
きっと僕に諭したのだと思います。
僕は若い頃から、ゴイーングマイウェイで、自分の好きなことをやり続けていました。
それを見てきた店長が、僕に対する警鐘として言ったのでしょう。
口調は「やんわり」でしたが、僕としては「チクリ」と刺された気分で、痛かったな。
というのも、好きなことをしているだけで、目に見えた結果が残せていなかったから。
言葉を変えると、
「好きなことをして満足しているのはいいけれど、他人がそれをどう評価しているかは別だぞ」
そう、いわれているようでした...^^;
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そして、
未だに、その時の言葉を自問しています。
「自分は周りの人が評価をしてくれる何かを成し遂げたのだろうか?」
答えは「ノー」である
勿論、与えていただいた設計やデザインは真剣に向かっていて、個々の仕事は納めてはいるが、
まだまだ、核というか、確固たるものを確立できてはいない。
手段は何でもいいのだけど、
今は建築というフィールドで、それを追求していきたい。
建築で何ができるのだろうか?
建築だからこそ出来ること。
ケンチクで人が幸せになること。
それが出来たら、
僕が死んだとき、ケンチクで幸せになれた人が泣いてくれるのかな(笑)
コメント (2)
自分の仕事で人が幸せになること。。仕事の最終目標ですね。でもなかなかその領域には達しません。年を重ねるにつれ、自分の出来る事と人や社会に貢献できることの接点みたいなものを考える今日このごろです。
「ケンチク」の仕事は、いわゆる環境を創造したりするわけですから、周りの人々がその環境に思い出を感じたり、心地よさを感じてもらえばそれだけで設計した人やそれに携わった人の意味があるように感じます。
「ケンチク」でいろんな人たちを幸せにできたらいいですね!
投稿者: 1737 | 2011年02月25日 09:41
日時: 2011年02月25日 09:41
1737さん
>「ケンチク」の仕事は、いわゆる環境を創造したりする
響きのいい表現ですね。
共感できます。
建築は「大地に突き刺した」時点で環境と接点があるわけだし、まして特に都市においては、廻りとの関係を無視することはできません。
その中で何ができるか?
建築は決して単なるハコではくて、使う人達に優しく。
また取り巻く環境に対しても、優しいものでなくてはいけないと考えます。
旅前の30までは、どちらかと言うと物事を内向きに捉える傾向にありましたが、
旅の経験から、自然と外に外に向いていくようになっています
旅、バンザイ(笑)
投稿者: ヨッシー | 2011年02月26日 11:18
日時: 2011年02月26日 11:18